日本人で「独眼竜」の呼称を初めて冠したのは、伊達公でなく山地だと
一昨日知ったハルキです・・・文献調べてみると5年強くらい早いらしい。
いけね、作品中で嘘ついちまったです(あーあ)まあ気にしない!
だって今まで一回も指摘受けんかったもん!!
Tマキさんに「美味しいナイスおっさん情報(画付き)ありがとうございました!」
と私信をうちつつ(ヴィゴのチューの相方がクロネンさんてこたヒストリー・オブ~
の会見ですかね?)
某様からいただいた西南戦争各旅団の情報を比較しながら安らかな眠りに
グーグーつきたいとおもいますv
人数と幹部陣の役職の置き方だけでジャッジしても、別2ってなぁ小規模の師団クラス
だったんだなー、と意味もなく鼻息荒し。だって山田閣下格好いい。
本当は参軍が=で師団長扱いだったわけだが、人吉以降ただの「少将」「旅団長」
と紙の上の肩書は据え置きだったのに常に2旅団まとめて後年の「師団長クラス」の
の働きを黙々とこなす山田閣下は本当に格好いいですv
平素・単品での人数は決して第一や第二より多いわけでもなかったのですが
(んでも一番少ない第四の2倍は居るが)戦費がすげえ。
他の団の軽く2倍という、某様も素敵に突っ込んでたその理由のすべてが
「エンゲル係数」だったらどうしよう・・・orz
第四なんかと比べると4,5倍です。かくして名は欲さずとも実のみこの手に、てな
山田閣下の格好いい幻影は一層その色を濃くしていくのでございます・・・
(ご病気野郎が)
ああ寝る前にべんきょ・・
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