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「逼迫の事態に届いた電信が
『日々暑くてしようのないから、御身体には留意して』ときた」
第一文で気抜けも甚だしかったが、その後には戦況の報も含むので
反故するわけにもゆかず、であるから間延びした
参謀本部に記録されたままなのだ。
さもありなんと煙草に火をつけた山田は苦る山縣をちらと見やった。
いかにもな舶来ものの香りが部屋に満ち始めたが、山田が咥えたならばその細巻きも
でっかな葉巻に見えてしょうのない、山縣は口には出さずにおもい、山田を眺める。
「それで。・・・あれはぜんたい何であったのか」
煙草を咥えた口の端から山田はぞんざいに言い捨てた。
知るものか。
欲しいものがあると、繰り返して言うのはそれだけだった。
奴のやったことといえば寄越した沢山な書状に、戦場についてきて数多の失態で拵えた
邪魔の数々。
場をわきまえぬ言動に幾度縊り殺してやりたいのをこらえたか。
おもい出してか、やたら髪を掻き毟っては煙を吐く男を山縣は更に凝視する。
しかしあれを、たって望み征西へ率いたのはお前だと指され山田の頬は河豚膨れした。
違いなくその通りの次第である。
「三浦が寄越すと云うから旧知を故に諾したのは僕で、ぬしに打電したのも僕であり
おかげで最後の戦地でどうにかなりそうなほど激怒し続けたのも成程僕じゃったな」
次男なのだが養子に参ったで進一郎という、であるから重遠と呼べとのあやなしを
会いしなヌケヌケとほざいていた。
“中村、は団にも軍にも多々居るので”
ひきかえ山田が「重遠」と呼べばそれは己であると直にわかるではないかと。
それより他はその重遠と大しての付き合いがあったわけでもない。
ただ山田は、写したのか造ったのか、彼奴が城の絵図面を幾つも持っていて
時折取りい出しては熱心に
古い城塞などは己が来世になってもまだ残存するほど
それが人の手に拠るものなのだから見る程にほれぼれすると、何よりの息抜きだと
あの調子でぬかしていたのだ。
幾年ものちだが、豪勢な煉瓦造りにも精を出し、新式の建造物さえこしらえて
いたのも知っている。
思い浮かぶ時もある。
初めて合わせた時から期せずになった最後の会釈まで同じ顔だった。
そういえばあれは商議後は、傍らで長煙管を飲っていた―
知っているのはその程度だ。
「山田」机面が拳で軽く叩かれたのに聞こえぬ素振りを今少し、顎につたい始めた
滴にも気付かぬ態を山田はしばし装う。
長らく無役のち最後となった戦地へ赴く船の中、甲板にて拝命直後自分を
「旅団長」と初めて呼んだのも中村の重遠だった。
手入れのされた指で挙手の礼して浮かべる薄い笑い。
山田の思い出すのは常にその顔で、初めて合わせた時から期せずの最後の会釈まで
何時も同じのあの顔だった。