会津はさすがに温泉多いわ~・・・
でも徒歩20分て。
地図を長時間にらめば、ちったぁ目的地と近隣の温泉の距離が近くなるんじゃ!?と
期待・・・いやしてませんそこまで阿呆じゃありません多分。
・・・多分が絶対じゃないところが哀しいハルキです。
とにっかく旅程を鞄と同じく浪漫飛行もビックリするほどパンパンに詰め込むクセがあり
同行者※主にほとんどTマキさん※を酷い目に合わせているので、今回ばっかは
ゆっくりしようと!・・・一応そうおもってんだけどなぁ・・・(遠い眼)←結局過日の肥後旅行も
強行軍だったのである阿呆である。
そういや肥後の後半日記で書いてないのですが、Tマキさんの読んでもう満足しちゃった
のであっしは別で書きます~
櫓と天守の近さ、石垣の熱剥離の凄さを間近にすると、あらためて入城した山川の視点で
城内→宇土櫓見て大層な感慨に耽ったものです。
んで、立ち読んだ「幕末の土佐~」て
ほぼ龍馬本の一節、谷さんについて
「政治家や軍人というよりは、学者」であり事実南学の云々~のち
「闘将としての気性の激しさも持って」にアハンvでした。うん、激しい気性を堪えて堪えまくって
撤退戦と同じく尋常でない精神力を使う籠城に使いまくった漢ですよなぁ・・・
(ヨダレ、拭け)
ところで山川の話ついでに「陽明学って結構危険な考え」と指摘されること数回。
朱子も陽明もあんま把握しとらんあっしはようやくその違いを簡易に学びましたが
山川が陽明学を好んだ、って何だか猛烈に納得しました(笑)
日本でよく言われる「実践重視論」「帝王学」とは異なる本来の解釈を知るにつけ
事上磨練、こっちのがあっし自身も性に合っとるしな(笑)
山川の連絡単独成功を陽明学と結びつけて展開しようと思ったのですが、これはちと
狙いが外れそうです。どっちかてーと獅子舞での入城のが添っている。
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