話題の脳内メーカーの第二弾、重遠さんと山地でやってみたらば
大変なことになってた!重遠さん、あなたやっぱり・・・。
山地は忠七でやると、これまたおかし。ほんっと、フォモにしにくい男だ(笑)
このブログ画像引っ張れない仕組みなのが残念。
タヌキがハズれてがっかりのハルキです。
これがもしタテキ観察だったら、ハズしてくれやがったお礼に
宮@庁のまん前で立ちションしてやるところです。
立ちションといえば、我が家のチビすけ(本名:茶々・三毛)は
己が厠のヘリに両手をかけて立ちションします。
あんよも1本プラスでかけて、計3本。後を一瞥し豪快な音で
ジョージョーおしっこする姿、迷いの無いその背中には
”俺の生き様、見ておきな”と太字で書かれてます。
あんた、女の子でしょうが!(泣)
毎回「生き様ちっこ」を魅せてくれる小柄なこの猫
元気で乱暴で愛嬌が抜群、わけても頭の良さは格別。
男だったら絶対「こだま」と名付けてたっす。
以下、独り言。
先日西南関連の本で「あんた、別2って馬鹿強だったさ」という記述(超絶意訳)
を読んでドギマギしてたのですが、記載の書名ド忘れ。
最近こんなんばっかで、せめて紙資料はファイリングしようかと
片付けられない駄目人間は模索中です。
開戦から3月末までの旅団編成も脳内整理しないと、間違えそう・・。
そんで、気のせいかもしらんとですが、山田閣下の旅団、長州出身者て
少ない・・・?自分が偏見でピックアップしてる人物以外にも当然人員
いっぱいいるのですが、まず参謀長が重遠さん→黒川さん。
中佐以上の階級だと目ぼしい人見つからんのよ。
(少佐の河野が確か長州?)おまけに佐官では極少数(違ったらすみません)の
会津の山川ツッコまれてるし。
えーと、つまりですね、冷遇?冷遇にあっとるんか、山田少将も。と考えちった。
結果として面白い濃い旅団(後世にとって)でそれこそ各地で目覚しい戦果を
上げてます、結果オーライですが、団幹部が閥で固まってないのは
当時の背景見て、一般人としては違和感おぼえる。他の旅団もこうなら問題
ナッシングですが、 役にいたる前段階で、あれだけ才あるのに軍を去った
山田閣下の心情とかその後の軍閥形成鑑みると、M10年のこの旅団編成は
やっぱりイロイロ考え・・・。
そんで、ポンと。行き着く果てに出た思考。むしろ嗜好。
ああああ、だったら山田閣下の漢前伝説は不動の地位を築くやん!
・・・お気づきでしたでしょうか、最近日記で山田閣下を、あっし
呼び捨てで書けなくなってます(惚)。
ネタじゃ、ネタの降臨じゃ!
PR